





2024年8月18日 ひろたりあん通信8月号掲載
ひろたりあん通信8月号(横浜市青葉区・都筑区のフリーペーパー)に障害年金の記事を掲載いただきました✨
この記事は、あざみ野で活動している「やさしい街あざみ野実行委員会」がお届けしているものです。
「認知症の人にやさしい街プロジェクト」のひとつとして、皆様のご参考にしていただける情報を発信しています❣
今回は「就労していても障害年金が受給できた精神疾患の事例」をご紹介させていただきました。
実際の記事を掲載できないため、以下ノーカット版の原稿をご覧いただけますと幸いです。
★ 就労していても障害年金がもらえることをご存知ですか?
障害年金は20歳から65歳前までの方が、病気やケガによって、生活や仕事が制限されるようになった場合に支給される制度で受給要件を満たせば、最低でも年間約60万円の年金を受け取ることができます。
障害の程度により症状の重い順に1級から3級までの等級に判定されますが、特に精神・知的障害の場合、年金の審査には就労状況が影響してきます。
★ うつ病・注意欠陥多動性障害・自閉スペクトラム症で認定された事例
当事者は30代の男性。幼少期から指先が不器用で、小学生の頃は体育が苦手であり、忘れ物や失くし物が多く、机の引き出しは常に物が溢れ、整理整頓ができませんでした。
落ち着きがなく、授業中でも席を立つことがあるため、担任から頻繁に叱られており、クラスメイトから虐めを受けることもありました。
小学校を普通学級で過ごした後、中学校も普通学級に入学しましたが、特性は変わらず虐めも受けていました。
学業成績は、得意科目については集中力を発揮するため、好成績を収めるものの、苦手科目は全くできず、科目ごとの成績の差が激しい状態でした。
高校は普通校に進学しましたが、不注意や落ち着きのなさは変わらず、卒業後は大学進学を機に一人暮らしを開始しました。
大学では好きな科目を履修できるため、学業成績は良好で、20歳の時には難関資格にも合格。しかし、大学のレポートは提出期限を守れず、教授からの声掛けを要し、大学生活ではコミュニケーションがうまくとれず友人をつくることもできませんでした。また、朝が起きられず、1限に遅刻することが頻繁にあり、一人暮らしの自宅は片付け、ゴミ捨て、掃除ができずゴミ屋敷の様な状態でした。
大学院へ進学するため、睡眠時間を削って勉強に励んでいたある日、抑うつ状態となって精神科を受診。うつ病と診断されて薬物治療を続けながら大学に通いました。
大学院に進学できたものの、うつ状態が酷くなって中退し、在宅療養の後、20歳時に取得した資格を活かして就職しました。
しかし就労先ではコミュニケーションがうまく取れず、ケアレスミスを連発するため、上司から頻繁に叱責され、出社することが怖くなり、僅か2カ月で退職となりました。
アルバイトをしながら何とか生計を立てていた中、偶然ニュースで発達障害のことを知り、特性が当てはまることから自身の本当の傷病を疑い専門医を受診しました。
専門医にて検査したところ、注意欠陥多動性障害および自閉スペクトラム症と診断され、障害者手帳も取得しました。
30歳にしてようやく本当の傷病を知ったのです。
その後は、障害者雇用にて就労を開始され、職場からの援助や配慮を得ながら、正社員として就労を継続しているもののミスを頻発すること、コミュニケーションが苦手なこと、自宅がゴミ屋敷状態であることは変わらず、うつ病も併発している中で当職にご相談があり、障害年金の請求に至りました。
障害年金は障害認定日という初診日から1年6ヵ月を経過した時点に遡って請求することができるため、本件ではそれに当たる約15年前に遡って障害基礎年金を請求したところ、無事に認定されることができました。
しかし、年金を受ける権利には時効があり、本件では数百万円分の年金が時効によって消滅しました。それでも時効にかからない分として、およそ400万円の一時金と今後は年間約80万円の年金を
受給できることとなりました。
本件が障害年金は就労をしていると貰えないと思い込んで諦めていたり、また正確な診断がされないまま適切な医療を受けられていない方の参考になれば幸いです。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました😊
2024/08/19
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